40代、50代からのバス、タクシーへの転職のススメ

45歳から52歳にかけて、ブラック会社での営業社員、タクシー運転手への転職を経て、路線バス運転手への転職を果たした私の実体験と、路線バス運転手、タクシー運転手の日々の仕事をご紹介しています。 ブログ(最新記事更新中)も見てね。

ブラック会社への転職実体験記

転職先が決まるまで

45歳での転職活動でしたが、在職状態で仕事を探せたことは幸いでした。
どんな状況だとしても、仕事に就いているという事実は、経済的にはもちろん精神的にも大きかったですね。

職探しは、ハローワークの求人情報検索を利用しました。
利用登録して、施設内のパソコンで個別に検索できるのですが、在職中であっても利用できるんです。

自由に画面検索して、気に入った会社をアウトプットし受付に提出すれば、会社に募集状況の確認の連絡を入れてくれて、紹介状を発行してくれます。
あとは持ち帰って、履歴書や職務経歴書等とともに紹介状を送付して連絡を待ちます。

私は、まだ在職状態ということもあり、45歳とはいえ何とかなるだろうと、どこか余裕をこいていましたね。
20年近く、結構専門的な仕事もひとりでこなして来たし、宅建も持ってるし、大丈夫だろうと。

でもフタを開けてみると、書類を送付したすべての会社から、書類選考の結果不採用という連絡がきたのです。
つまり、面接すら受けることができなかったのです。

予想外の結果に、私は少なからず動揺しました。
そして45歳という年齢の壁を、改めて認識させられたのです。

宅地建物取引主任者優遇となっていた応募会社から不採用の連絡があったとき、担当者の方が思わず「宅建所有者は欲しいんですが、うちは35歳までなんですよね」と漏らされたんです。
その会社の募集要項では年齢不問となっていました。

形式的には年齢不問となっていても、殆どの会社で実質年齢制限があるという事は、その後の経験からも明白でした。
実際、募集要項にも「長期的人材育成のため、35歳まで」という条件がある会社がたくさんありました。書類を送付してから言われるより、その方がむしろいいですけどね。

また、職務経歴書でいくら力説しても、ある意味特殊な業界であったこの事務所での20年間の経験は、他の業界にとっては全く必要とされない、汎用性のない限りなく無価値なキャリアであるということもわかりました。

余裕はすぐになくなりました。
応募書類を送付しても、送付しても、書類選考の結果不採用との連絡ばかりでした。
せめて面接まで行ければなんとかするのにという思いも、どうすることもできません。

30社近く書類送付したでしょうか、その中の1社から、ついに面接の連絡が来たのです。
よし!とは思いましたが、これでダメだったらという不安の方が大きかったですね。

面接の結果は採用でした。
はっきり言って、細かい就業条件なんかは気にすることができませんでした

これまでの状況から考えても、もう、給与だとか、休暇日数だとか、そんなこと言ってる場合ではないというのが実情ですよね。
実質ここ以外はないんですもんね。

こうして、なんとか45歳にして転職先が決まりましたが、ほんとに大変なのはこれからでした

ブラック会社①

転職先は、セキュリティー機器の販売会社でした。
経理などの使える知識や経験が無いため、営業社員としての採用です。

営業方法は、電話営業一本です。
一日中、ひたすら電話をかけまくり、アポイントをとります。
セキュリティー機器を必要とする業種ごとに電話先リストがいくつかあり、5人の社員がそれぞれリストを選んで電話をかけます。

すべてかけ終えると、また別のリストで電話をかけます。

リストの数は限られているため、当然リストの中の電話先には、何度も重複して営業の電話がかかることになります。
ほぼ毎日、この会社の営業社員から、入れ代わり立ち代わりで電話がかかります。
場合によっては、同じ日に数回かかることもあります。

電話先からは、もう警察に通報するぞとか、消費者センターに相談したといった反応が、何度もありました。

営業社員の側からしても、同じ電話先に何度も営業の電話をすることになります。
これは精神的に本当に参りました。

電話営業の相手先との関係で、出社時間は午前9時と遅いのですが、退社時間は平均して午後11時くらいでした。
当然規定時間はオーバーしていますが、残業代などというものは、もらえないどころか話題にもなったことがありませんでした。

休日は、規定では毎週日曜日と隔週で土曜日でしたが、成績も出さないで休まないよねと言われて、あくまでも自主的な出勤という形で、半分以上は出社していました。
もちろん、休日出勤手当などというものはありませんでした。

社員構成は、30代の支店長と、営業社員が私を入れて5人いました。
営業社員は、20代が2人と30代が1人、40代が1人で、40代の営業社員の肩書が主任で私の面接をした人でした。
でもこの肩書は、営業成績次第で、簡単に付いたり消えたりしていました。

週に一回くらいのペースで、社長と思しき人がやって来ました。
まだ30代くらいの若さなのですが、営業成績について問い詰め、恫喝するのが常でした。
今日来るという時は、会社中がピリピリしていました。

こんな状況の中で、恥ずかしながら、私は半年しかもちませんでした
また別の転職先を探すのは容易ではないとわかっていながら、どうしても続けることはできませんでした。

ブラック会社②

精神的にかなり参った状態でしたが、家族もあり、仕事を探さないわけにはいきません。
今度は無職の状態での職探しとなりました。

ハローワークに失業申請をして、前回と同様求人情報検索で仕事を探しました。

前回の経験から、相当な厳しさを覚悟していましたが、どういう巡り合わせか最初に応募書類を送付した3社のうちの1社から面接の連絡があり、その日のうちに採用の連絡がありました。

再就職先は、看板広告の会社でした。
本社が別の場所にあり、当該地方都市へ支店を出すにあたって、営業社員を募集していたのです。

本社から所長として派遣された人と、私との二人体制で始めるということでした。
この所長(肩書は主任)は30代後半で年下、本社の部長も40代ですが私より年下でした。

40代、50代で転職すると、どうしても上司が年下になってしまいます。
これも割り切っておかなければならない現実です。

ここでの営業方法は、飛び込み営業でした。
前の転職先での電話営業に比べたら、比べ物にならないほど気分が楽でした。
しかも、最初の就職先で飛び込み営業を経験していたので、営業成績は悪くありませんでした。

でも、営業会社というのは、どんなに成績を出しても、次はもっと上の成績を出せというのが常套句です。
少しでも成績が振るわないと、本社の部長から厳しく叱責されました。
また、月1回本社で営業会議があり、成績不振の月は厳しく問い詰められました。

私が個人的に苦痛だったのは、営業日報でした。
毎日これに相当の時間を費やしました。
月末には月報も書かなくてはいけません。夜中までかかっていました。

出社時間は午前7時、退社時間は平均して午後11時。
もちろん残業代はありません。

給与は額面で月20万、どんなに成績を出しても、インセンティブはありません。
ボーナスは基本無し。

休日は月1~2回取れればいい方でした。

しかも毎年、正月の3日に、記念行事のため全社員が本社に出社させられていました。
もちろん無給です。

嘘のような話ですが、すべて実話です。

それでも私は、もう本当に後がないという思いで、3年間頑張りました。
最後の1年は支店の所長として続けましたが、いよいよ休日が限りなくゼロに近くなり、力尽きました。

今冷静に思えば、殆どマインドコントロールされたような状態であったと思います。

この二度の経験からわかったのですが、特別なキャリアがないのに、営業社員等として45歳でも採用してくれる会社は、少なからずブラック要素がある会社であると思った方がいいと思います。
あくまで私見ですけどね。

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